言論弾圧ハンターイ!(社怪人日記2006)
越えてはならない一線だ 「核保有」発言(西日本新聞社説)
たたかれても、たたかれても、(西日本新聞春秋[コラム])
やはり、出た。安倍晋三首相の(西日本新聞デスク日記)
私個人的には、核兵器を保有する必要はない-というより、持ってはいけない-と思うのですが、必要か必要でないかを議論することは大いに結構だと思います。というか、当たり前のことでしょ?
ちなみに、西日本新聞の社説・コラム・デスク日記はいずれも10月17日付朝刊に掲載されたものです。よっぽど、腹に据えかねたらしいようですね。というか、社説にすらなっていない手紙を社説として掲載する朝日新聞(
参考例)にも似た、嫌悪感を感じてしまいました。
それにしても、中川政調会長の発言をどうしたら「
核保有」となるのでしょうか。同じく10月16日付西日本新聞の記事より引用します。
自民党の中川昭一政調会長は15日のテレビ朝日番組で、北朝鮮の核実験発表に関連した日本の核保有論について「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる、やればやり返すという論理はあり得る。当然、議論があってもいい」と述べ、タブー視せずに論議することは必要との認識を示した。
(中略)
中川氏は同時に、歴代内閣が堅持する非核三原則について「守る」とも強調。しかし、同席した公明党の斉藤鉄夫政調会長は「核は絶対に持たない。議論することも世界に懸念を与えるから駄目だ」と強く反論した。
(中略)
中川氏は番組出演後、記者団に「(非核三原則を)今すぐ取っ払ってしまうことはしない。見直す必要があるかどうか議論を尽くす必要がある」と指摘。また「持つことのデメリットもある。核兵器を持つべしという前提で議論しているのではない」などと述べた。
(「「核保有の議論必要」 中川・自民政調会長が認識」より引用)
中川氏は「核保有の議論があってもいい」と言っているわけで、「核を保有する」と言っているわけではありません。にも関わらず西日本新聞社説の見出しは「
越えてはならない一線だ 「核保有」発言」。この見出しを見ただけでは、「核兵器を保有すると言ったのか」と判断してしまうでしょう。私も今朝、長官の見出しを見ただけでは「エライ事を言ったもんだ」と思いましたから。事実は相反していましたけどね。
マスコミは自分たちの「報道の自由を守れ」と声高に言うけれども、報道の自由って自分たちに都合がいいように記事を書き換えることなのか、と常々疑問に思ってしまいますね。
それにしても、公明党の斉藤政調会長の
議論することも世界に懸念を与えるから駄目だ
という発言は、言論弾圧になるんじゃないの。叩くなら、コレを叩くべきじゃないのマスコミは、と思うわけです。