プロ奴隷(Wikipedia)
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某所で、政府の政策に対する批判に批判をしたら、
プロ奴隷と呼ばれました。・・・正直、はぁ?って感じですね。自分たちの意見と合わないと、排除するのは、幼稚な事なんですけどね。条件反射だったのかな、私をプロ奴隷と読んだ人は。
自国首相に対する批判はともかく、
「死ね」など発言したり、他国の国家元首に対して呼び捨てにするような自称リベラリストの「プロ市民」などと一緒にされるぐらいなら、奴隷と言われた方が、まだマシかな。最低限のマナーを守れない連中と一緒にされては、迷惑です。
ただ、市民権を行使するのと政策を批判するのはイコールで結ばれませんよね。政策の中には、支持できるものもあるしできないものある。そこでの論議は、私が政策に対し支持しているだけで、他の政策に関しては、少なくとも批判の目を持ちつつ・・・批判はあまりしていないなぁ、このブログでは・・・。汚い言葉で政策を罵るだけになりそうで。恥ずかしくて、そんな文章を他人に見せられないですよ、少なくとも私は(笑
プロ市民と呼ばれるよりはプロ奴隷と呼ばれた方がいいけど、権力に対して盲目的に従っているわけではないから、それも違うんですよね。ということは、なんて自称すればいいんだろう。「自由人」。・・・嫌っている自称リベラリストと同類になってしまうではないか。
それにしても、プロ市民と呼ばれている連中も、政権に左右されているという意味ではプロ奴隷と変わらないわけで。
結局、自分の考えをまとめられずに、政策に対し「Yes」と言っているか「No」と言っているかの違いなのではないかな、と思っているのですが。
例えどんなときであっても、感情的にならずに論理的でありたいと思う。汚い言葉で罵る事だけはしまい、と本気で思った、12月の日でした。